この文章は、作文を読む前と後では、変わるだろう。
ACHIEVEMENTS & TIMELINE
実績・あゆみ
-
2026.07.01受賞・実績
第12回看護・介護エピソードコンテスト 優秀賞
作文「普通って売ってますか」が評価され優秀賞を受賞。家族との日常を通じた「普通」への問いを綴った作品。
-
日付非公表救命・福祉
救命指導を実施しました(第2回)
消防署認定応急手当普及員として救命指導を実施。CPR・AEDの使い方を地域の方々に伝えました。
-
日付非公表救命・福祉
救命指導を実施しました(第1回)
初回の公式救命指導を実施。福知山市民救命・福祉の会として出張CPR・AED講習を展開。
-
2026.06.08QUEST
クイズサークルQUEST 設立
第一学院高等学校 養父本校にてクイズサークルQUESTを設立。サークル長として活動開始。
-
2026.04学業
第一学院高等学校 入学
第一学院高等学校 養父本校 1年生として入学。活動と学業の両立をスタート。
-
2025救命・福祉
福祉活動スタート・改名
救命にプラスし、福祉活動をスタート。福知山市民救命士の会から福知山市民救命・福祉の会へと改名。
-
2025救命・福祉
救命活動の始まり
救命を本格的にスタート。応急手当普及員として認定(認定番号:885号)。上級救命講習も修了。
-
2025きっかけ
友人との別れ
「自分なら救えたかも。救える命があったかも。」この思いが、すべての活動をスタートするきっかけとなる。
普通って売ってますか
夕方のスーパーは、なんとなく苦手だ。人が多くて、通路は狭く感じるし、レジには長い列ができている。みんな当たり前のように歩いているけれど、僕はときどき息が詰まりそうになる。
その日も、家族みんなで買い物に来ていた。父、母、長女の姉、次女の姉、僕、そして祖母。六人で歩くと、どうしても周りの目を引いてしまう。
長女の姉には重い障害があり、つらくなるとその場にしゃがみこんでしまうことがある。次女の姉はADHDで、気になるものを見つけるとすぐにそちらへ行ってしまう。祖母は左半身が麻痺していて、歩くのも腕を動かすのもゆっくりだ。
だから、うちの買い物はいつも時間がかかる。母は姉たちの様子を見ながら歩き、父は祖母の横で支えながら進む。僕は少し後ろを、買い物かごを持ってついていく。それが、うちでは当たり前の光景だった。
でも、周りの人には違って見えるのだろう。「なんであんなに騒ぐの」「ちゃんと見てないのかな」「普通に買い物できないの?」
小さな声なのに、そういう言葉は胸の奥に重く沈む。小さい頃の僕は、それが嫌だった。どうしてうちだけこんなに大変なんだろう。どうしてみんなみたいにできないんだろう。そう思ってしまう自分のことも、また嫌だった。
その日、長女の姉は急に立ち止まり、耳をふさいでしゃがみこんだ。人の声や店内放送が重なって、苦しくなったのだと思う。母はすぐ隣にしゃがみ、「大丈夫、大丈夫だよ」と声をかけ続けた。
その間に、次女の姉はお菓子売り場に気を取られ、「あ、これ新しい!」と明るい声をあげて少し離れていった。父は祖母のカートを押しながら、「ゆっくりでいいからな」と声をかけている。
僕は真ん中で立ち尽くしていた。誰を見ればいいのか、何を手伝えばいいのか分からない。ただ、周りの視線だけが痛いほど分かった。
そのとき、後ろから声がした。「普通にできないのかな」
振り返れなかった。振り返ったら泣いてしまいそうだったからだ。普通にできない。
じゃあ、普通って何だろう。姉たちは普通じゃないのか。祖母も普通じゃないのか。うちの家族は普通じゃない家族なのか。僕はその言葉を、家に帰るまでずっと引きずっていた。
夕飯はコロッケだった。母が「スーパーで安かったから」と言った。長女の姉は家に帰ると落ち着いて、好きなテレビを見て笑っていた。次女の姉は学校のことを一気に話し、母に「順番に話して」と言われていた。祖母は片手で箸を持ち、「今日の味噌汁、おいしいねえ」とうれしそうに言った。父は静かに笑い、母も少し疲れた顔で笑った。
その食卓を見ていたら、胸の中の固いものが少しゆるんだ。長女の姉は笑うと子どもみたいに無邪気だ。次女の姉は落ち着きはないけれど、家を明るくする。祖母は何をするにも時間がかかるけれど、「ありがとう」を何度も言う。母は毎日へとへとでも、最後にはちゃんと「おやすみ」と言う。父は口数が少ないのに、誰より早く気づいて、自然に手を差し出す。
僕はこの家族の中で育ってきた。腹が立った日もある。「なんでうちだけ」と思った日もある。でも、それと同じくらい笑った日がある。くだらないことで大笑いした夜がある。みんなで同じテレビを見て、同じところで笑った日がある。
それは特別な毎日じゃない。ただの、うちの日常だ。そしてそのとき、僕は思った。ああ、これが普通なんだ。
誰にも迷惑をかけないことが普通なんじゃない。みんなと同じようにできることが普通なんじゃない。失敗しないこと、手がかからないことが普通なんじゃない。
泣くこともある。助けてもらうこともある。うまくできない日もある。それでも朝になれば起きて、ごはんを食べて、笑ったり怒ったりしながら一日を過ごし、夜になったら「おやすみ」と言う。それが生きることなら、それはもう十分に普通じゃないか。
帰り道、僕はふと思った。もし「普通」がそんなに大事なら、どこかで売っていてもいいはずだ。でも、スーパーにも、コンビニにも、どこにも売っていない。きっと最初からそんなものはないのだ。ないものを人は勝手に作って、勝手に線を引き、その外にいる誰かを見て「普通じゃない」と言う。
だけど、その線の外に見える人にも、ちゃんと朝が来る。お腹がすく。悲しければ泣くし、うれしければ笑う。障害のある人も、病気を抱える人も、見えない事情を持つ人も、みんな同じように毎日を生きている。
だったら、みんな普通じゃないか。誰かをはずすための「普通」なんて、最初からいらなかったのだと思う。
夜、布団に入る前、祖母が僕に言った。「今日はありがとね。かご、持ってくれて」僕は「別に」と答えた。でも少し照れていた。
隣の部屋からは姉の笑い声が聞こえる。母は明日の準備をしていて、父はそろそろテレビを消すころだ。その気配を感じながら、僕は思った。
僕の家族は完璧じゃない。できないことも多い。時間もかかる。人の手も必要だ。でも、あたたかい。ちゃんと笑っている。ちゃんと生きている。それでいい。それがいい。
だから僕はもう迷わない。
普通って売ってますか。
たぶん、売っていない。
普通じゃない人がいますか。
たぶん、いない。
違いはある。苦しさもある。生きづらさもある。それでもみんな、自分の毎日を一生懸命生きている。ならばそれは、もう十分、普通なんだ。
障害を持った人も。病気を患った人も。事情がある人も。
みんなよくて、みんな普通。
救命・福祉活動についての詳細
ときもと つばさが代表を務める
福知山市民救命・福祉の会(FCEWA)について